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Cocorone

Cocorone(ココロネ)は 鎌倉にあるミラクルサロン'ano'ano のオーナー LiLiのブログです
はじまりのおはなし
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    たったひとことが人生を変える
    そんな体験に、だれもが一度は
    めぐりあったことがあるのではないでしょうか。

    あとになってふりかえるとき
    そのふしぎな扉がひらいた理由はいたってシンプル。

    「お、それ、いいかも☆」

    と、自分の中に芽生えたワクワクする感覚に
    素直にしたがったから。


    まわりの意見に合わせ
    よのなかとの折り合いを考え
    「ちゃんとしなきゃいけない」
    と悩み続けた10代、20代。


    私は魔法使いではないけれど
    魔法の扉のひらき方のコツが
    少しわかってきた気がします。

    ハワイで蒔かれたいくつかの種(’Ano’Ano)

    どんなおおきさで
    どんな花をつけ
    どんな実がなるのか

    私たちの中に
    きらりと輝く’Ano’Anoが
    すこやかに育っていきますように・・・

    こころをこめて

    | つれづれ日記 | 20:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    たいせつな日々を
    0
      昨年の11月11日
      ハワイに旅立ってから ちょうど一年がたちました。

      『ハワイ、どうだった?』

      と、色々な方から聞かれるたびに、
      その10ヶ月のあいだに起こった、様々な出会いや変化を
      自分なりにダイジェストして、熱っぽくお話してきましたが

      なかなかどうして、ほんとうにほんとうに
      お伝えしたいことのすべてが言葉にできたという自信はなく

      これからゆっくり、ゆっくり、

      私のあたらしい歩みの中で、

      言葉とは別のかたちで

      私らしく表現できてゆけますように・・と
      祈るような気持ちでいます。


      きょうは、
      うちの壁に貼ってある、
      一枚の雑誌のきりぬき記事のお話をします





      このきりぬきは、たぶん7,8年前に出逢ったもので、
      雰囲気のあるイラストが気に入って
      大事にとってあったものなのですが
      イラストの下に、こんな文章がついています。

         ・・・・・・・・・・・・・・・・

      ダライラマのNY訪問中、俳優のリチャードギア主催のパーティーで
      『刹那』についての会話で盛り上がった

      この世には「昨日」も「明日」も存在しない
      あるのは常にだけだ
      常に「今」の連続だ。

      したいことは、できるだけ「今」するようにしよう。
      常に「今」のベストを尽くそう

      ほとんどの人間は、昨日したこと
      明日しなくてはならないことを考えて生きている
      今を見つめるということは、案外していない。

      “本当にその瞬間に集中している人は陰がなくなる”
      というマレーシアの民話を思い出した。

      夢とゴールを持ち続けながらも、その結果に執着せずに
      「今」をみつめ、精一杯生きることによって
      無限の可能性が生かされる・・・

      と、ダライラマも語っていました

         ・・・・・・・・・・・・・・・・

      当時、この記事に“はっ”とさせられた私は
      自分が、色々なことに一生懸命にチャレンジしながらも
      いつももどかしいほど、自分の日々に“OK”が出せず
      いま、ここ、にはない自分を求めてさまよっていました。

      忙しいばかりで、心からの充足感とは無縁の日々。。。

      眉間にしわこそ寄せてはいませんでしたが、
      きっと、作っていた笑顔の奥には不安や寂しさから来る
      陰が漂っていたのではないかなと思います。


      ハワイで過ごした10ヶ月の日々が与えてくれたのは
      いま、この瞬間 を生きているという感覚。

      大自然に囲まれて、
      その美しさ、優しさ、ダイナミックさとともに
      荒々しさやはかなさまでも、日々日々空気のように吸い込んでいるうちに

      おおきな宇宙のなかに
      確かに存在する、
      “ちいさなちいさないのち”としての自分を見つけて

      なんだか、頼りないのにかけがえない
      感謝の気持ちで満たされて

      宇宙に対する信頼感、
      その中で生を受けた自分に対する信頼感と愛着
      取り戻すことができたからではないかしら?

      と、おもうのでした。

      一日一日、
      一瞬一瞬を、
      こういうふうに過ごせる日が来るんだよ、ということを

      もしかしたら、未来の私が、あのときの私に
      ときどきささやきに行っていたのかもしれないなあ と、
      いま、ふと思いついたのは

      すごく苦しい時に、
      ほんのちょっぴりだけの涙をこぼしたあと
      夕日や朝日に木々が美しく輝くのを見て、
      あきらめずに前を向いてあるきだす力をもらっていたことを思い出したから。

      色んなメッセージが、
      私たちの周りにはたくさんたくさんあることを
      これからも忘れずにいたいなと思います。
      | つれづれ日記 | 11:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      リコネクション
      0
        リコネクティブヒーリング』そして『リコネクション
        この名前を耳にしたのは二度目でした。

        始めて聞いたのは昨年の初夏。
        ハワイに行くことが自分の中ではっきりしてきたあの頃。
        まだまだエネルギーワークのようなものに進んでお金を払うメンタリティが整っていたわけでもなかったし、ふところ具合もそんなに余裕がなくて、その名前は右耳から左耳に通過して行っただけでした。

        そして今月始め、リコネクションとの再会

        友人が貸してくれた『リコネクション』の本を
        分厚いにもかかわらず、一気に読破。
        そして、まだ全部を読み終わらないうちにリコネクションの予約を入れてしまったほど引き込まれた私でした。



        『リコネクション』によると、現在人間の DNA は、2 本のストランド (ひも状のもの) から成るらせん構造を持っていますが、多次元の世界からみると、本来人間は12 本のストランドを持っていた(いる)と考えられています。リコネクションによってグリッド・ラインに接続されると、いままで機能していなかった残り 10 本のストランドが活性化されるといいます。DNA には、ありとあらゆる情報がはいっているので、リコネクションで、DNA を活性化することにより、自分の本質の完全性や宇宙の完全性と再びつながり、様々な面において飛躍的な進化をとげることができるのだそうです。


        難しい話はさておき、
        それはいったいどんなかんじなのかしら
        ・・・?


        エネルギーワークとか波動療法とか、
        目に見えない部分を扱っていく世界が、自分にとってこんなに身近になる日が来るなんて、1〜2年前までは思ってもみないことでした。

        ハワイ体験前後で、色々なことが自分の周りで起こり始めてからも
        相変わらず私の五感はいたってノーマル(?)で、
        波動だの、色だの、音だの、そうしたものをダイレクトに感じることはほとんどありませんでしたので、今回のリコネクション及びリコネクティブヒーリングも、過度の期待をすることなく、ただ「きっと今の再会が私にとって必要なタイミングなんだろう」という確信だけを胸にヒーリングにのぞみました。

        そしてその体験は、私の予想を裏切る形で静かな驚きをもたらしてくれたのです。

        リコネクションは2回にわたるセッションを受けますが、
        さらにその前に、そのリコネクティブ周波数という特定の波動に体を慣らすためにリコネクティブヒーリングというものを最初に受けます。

        最初に受けたリコネクティブヒーリングでは
        施術者の方が私の体に手を触れることなく、
        送ってこられるリコネクティブ周波数のみで、体のあちこちに色々な変化を体感。
        頭もグーっと押される形で右に左にぐるぐる回る回る。。。
        (もちろん、手で押されているわけではありません)
        体に電気が走るような感じや、体の中から引っ張られる感じ
        さらに閉じているまぶたの裏に静電気がゾワゾワゾワ・・・と走るみたいに影みたいな残像が押し寄せてみたり、本当に色々な感覚が訪れました。

        まあ、そのときはそれがどんな作用をもたらすのかは
        全くわからなかったのですが、
        3度のセッションを体験してすぐのち、
        私は辞められなかったタバコをある日突然、吸う必要がなくなくなっている自分にハッと気付きました。

        これは自分にとって結構な驚きでした。

        だって、我慢するとか何とかではなく
        「ぜーんぜんいらない」
        という感じに、突然なったのですから。

        その他、夢をたくさんみるようになったことも

        まだまだその効果はこれからひとつづつ、自分なりに体感していきたいと思っていますが、なにやら変化が起こっているのだということは明確。

        それにしても、2本のDNAが12本にもなったらいったいどうなっちゃうんでしょうか〜☆

        | つれづれ日記 | 02:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        天国のおばあちゃん
        0
          昨年の春に亡くなった
          私の大好きな祖母。

          90歳での永眠でしたが、本当になくなるちょっと前まで
          頭もしっかり、体もしっかり。
          心身ともに頼りになる祖母でした。

          小さい頃から、悩みがあると必ず祖母に話して
          そのことば、その存在からたくさんの安心と勇気を頂いていました。

          色んな悩みが深かった数年前までは
          祖母という心の駆け込み寺がないと心もとないほど
          頼りにしていた人でしたが、
          私がハワイに行き、人生の転機を迎え、
          自分で強く生きていける力を授かった直後に他界。
          ものすごいタイミングだなー、きっと待っていてくれたんだなー、と
          感謝したものです。

          祖母が亡くなってからは
          今まで祖母に報告したり相談したりしていたことを
          自分の内で解決出来るようになってきた気がします。

          祖母は亡くなったものの、むしろ前より近くに居るような
          そんな感覚がずっとあります。

          今日も気分転換にふらりと散歩しながら
          色んなことを考えていた時、
          「あ、こういうこと、おばあちゃんが生きていたらきっと、電話して話し聞いてもらっていたよな」と、ふと思いました。

          私の中に生きている祖母を大切に
          今年も益々元気にたくましく生きていきたいなと思います。
          | つれづれ日記 | 17:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          ふしぎ体験 レポート
          0
            時間の感覚が変わってくるかもしれません

            昨年12月半ばに、リコネクションというヒーリングを受けた時に
            セラピストさんがそうおっしゃっていたのを思い出す。

            ヒーリング体験って、注射や風邪薬のように
            飲んだら“熱が下がる”“頭痛が引く”というように
            誰にでも分かりやすく効くわけではないから
            セラピストさんも『こうなりますよ』とは言えないし
            受けたほうも過剰な予想や期待は意味をなさない
            心得ておかなくてはならないとおもう。

            だから、『時間の感覚が変化する』って、いったいどんな?
            と、興味津々だったけど、全然想像もつかなくて、期待のしようもなかった。

            たとえばでいえば、
            10年かかって学ぶことを1ヶ月で体験してしまったり
            忙しくて時間がないなあ・・と思っていたのに、やらなくてはいけないことがちゃんと時間内にやれてしまう、とか
            逆に、つらい時間はあっという間に経ってしまったり etc・・

            というような例を聞きながら、
            『そんなことってあるんだなあ』とぼんやり思っていた程度。


            そんなリコネクション体験のあとほどなくして
            今年の初めに、実はワタクシ
            結婚未遂事件(笑)にて、全治○週間の傷を負っておりました。

            それは誰なのか!!とか
            どういういきさつで!!!とか、
            いつのまに!?!?!?!?とか、そういうコメントには
            自叙伝出版の際にお答えするとして(笑)

            まあとにかく、
            結婚を決意親に報告挨拶に行く日取りを決める
            という、超高速スピードで物事が進んでいったかと思うと、賞味1週間のあいだに、
            結婚中止まで一気に駆け抜けてしまったのでした。


            実は、YURIKAさん(私が信頼をおく タロットリーダー)には
            ずっと以前から『この方と結婚はしません』と言われていて、
            間際においても、結婚した場合の問題点もあれこれうかがったうえでなお、
            覚悟は決まっています』と言い放ったほどの決意だったのに、
            具体的に動き出した途端に、お互いそれこそ、びっくり仰天するような、
            予想もつかないような展開が勃発
            して。。。。。


            意気消沈、放心状態から抜けられない私に、
            YURIKAさんは満面の笑顔で
            本当に守られているわねえ(笑)』
            でも、ちゃんと覚悟を決めて決断したからこそ、これだけ早くに答えが見えたのよ』と言われたけれど。。

            起こっていることを何とか理解しようとして 全力を使い果たし
            何をする力も出てこないまま

              日が昇り〜  日が落ちて〜 を繰り返し

            ほんの数週間のあいだに
            もう今年も残りわずか。。なんじゃないか?
            くらいの時の流れを感じて
            はっとした。

            これもリコネクションマジックの一つでしょうか。。。

            そして、
            意外に復活も早かったワタシノココロ(笑)

            そして、ジケン前とは
            明らかにちがう(プチ生まれ変わったというか)
            感覚が自分の中に育っているんですよ、これが。


            両親には心臓に悪い報告を立て続けに
            申しわけなかったなー、と思いつつ
            これで、結婚結婚と会う度にそれしか言わなかった父には
            私が結婚する気がないわけではないことを証明できたと思うので、
            しばらくはそっとしておいてくれるんじゃないかな?(笑)











            | つれづれ日記 | 18:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            焦る v.s 味わう
            0
              お部屋探しも佳境を迎えてまいりました★

              こうやって、連日文字通り朝から夜まで物件探しに明け暮れながら
              ふと、よぎった思いがあります。

              私はいま、すべてのプロセスをおいしく味わえているかしら?

              いま、私の答えは
              うれしいことにYESでした。

              かつての自分は
              なにか、一生懸命になることがあると
              それはもう、とにかくコンをつめて
              一気にその自分の思い描くイメージに向かって
              ちょっと休憩”など考えもつかず
              ただひたすら、息をつめて、海にもぐってあわびやウニを採る海女さんのようにまっしぐら。

              磯の香りや海鳥の声日差しの色の変化や
              となりの海女さんとのちょっとしたおしゃべり

              そういったものを味わうよりは
              とにかく大きくて、よいアワビを早くたくさん採れるように
              たくさん採れそうな場所を、一人で探し回って
              一生懸命、息を大きく吸ってーとめてーもぐるーを繰り返すような人だったような気がします。

              でも、こういうのって
              たとえばそうやって一生懸命とったアワビが、
              今日の市場ではあまり高く売れなくて、ワカメのほうがニーズがあったとか
              天候不順で、もぐってももぐってもなーんにも見つからなかったりとか
              そういう予期せぬハプニングで行く手を阻まれたときにあんまり幸せが残らないんじゃないかな
              残るとしても、切ない自己満足くらい(笑)

              もっとプロセスを味わったり、
              そこでいろんなものに出会ったり、いい瞬間をたくさん見つけていられたら
              結果はぜんぶ、気持ちのよいものになるに違いないんじゃないかなぁ
              、と思うのです。

              たとえば、きれいな花が咲くといわれる
              お花の種を植えます

              土に埋めて
              お水をやって
              まいにち観察して

              なかなか芽が出ないときに 

              イライラして待つのか
              不安になるのか
              「咲かないのかもー!」って悲観的になるのか

              それとも

              鉢の場所を変えてみたり
              お水の量に気をつけてみたり
              友達とお茶をしながら『いつ咲くかねー』ってトキメク時間を共有したり
              きれいなお花が咲くところをワクワクイメージしながら楽しみに待つとか

              これって、人それぞれにパターンがあるような気がするんです


              こうやって、色んなプロセスを
              安心して味わえるようになったのは
              素敵な仲間たちのおかげだなー、と
              つくづく しみじみ おもうのでした。



              | つれづれ日記 | 16:20 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
              見るのは辛いけど
              0
                あるべき流れに沿っているときは
                驚くほどスムーズにものごとが展開するもの。

                そうでないときは
                「そっちじゃないよ」「まだタイミングじゃないよ」という
                親切なサイン。

                あたまじゃわかっていても
                ついつい『頑張って』しまって、思いや執着を手放せないときというのは
                それなりに辛いものですね

                最近の私に与えられているテーマ

                あせらず、待つこと
                いらないものを手放していくこと

                このふたつを日々、ココロにとめながらも
                なーかなか思うようにならないこのカラダ(笑)

                動けばいいってモノじゃないときもある
                頑張ればなんとかなるってモノじゃないときもある

                そんなとき、色んな形でダメ出しがきたりヨコヤリが入ったり
                そういうかたちで、『そうじゃないんだよ』と教えられることを
                感謝して受け止めようと思う。

                今みたいに、良くも悪くも
                どんどん物事がハイスピードで展開していく日々の中で
                本当に必要なものとそうでないものを見極めて

                手放し上手

                になれたらいいな 少しずつ。

                そんなふうに
                強い強い執着で見えなくなっていた自分の姿を気づかされて
                ハッとして、ちゃんと気持ちの切り替えができた瞬間に

                思いがけない形でみちが開けてくる。
                これって本当にすごいなあと思う


                ああ、この執着がダメだったのね!
                ああ、このパターンが私をいつも苦しめるもとなのね!

                わかってしまえば、ものすごく明快。
                だけど抜ける直前は、そういう自分を『わかりたくない私』『見たくない私』もいたりするからやっかいです。(笑)

                スピリチュアルのの字もないほど
                あたふたと はずかしい思いをしながら もがいていますが
                一つづつ、新しい変化や発見があるたびに

                やっぱり私の人生っておもしろい
                と思い始めた今日この頃。

                引越し計画は思いのほか難航中ですが
                本当にいい場所に出会って、
                本当に気持ちよく 新しいスタートを始めるその日が来るまでに

                どれだけたくさんの
                いらないものを捨てて 身軽になれるか


                それを心から楽しみに
                ちょっと ゆるめに 
                やってみようとおもっています♪



                | つれづれ日記 | 17:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                未来は“あと”からついてくる
                0
                  あーあ。
                  なんなんだろう。。  
                  まいにちのこのしあわせ感は。。。


                  新しい部屋が決まったわけでもなく
                  急に仕事が繁盛し始めたわけでもなく
                  恋人ができたわけでもなく
                  お金だってあと少ししか残っていない(笑)


                  なのに。


                  何の不安もなく、むしろ希望にみちていて
                  何が起きてもダイジョウブという感覚に静かに包まれている。


                  たとえ明日、おっきな地震があって
                  すべてを失ってしまったとしても
                  それはそれでも 大丈夫 とすら思っている。

                  オカシクナッテシマッタノカシラ

                  たぶんそれは 感覚の変化

                  いま・ここという時間だけを生きるようになったことにあるのかもしれない。
                  (むしろ“〈いま・ここしか生きれなくなった”というか。。)


                  いつの間にか 始まって
                  このところ 完全にそうなっていた



                  私たちはよく、
                  明日の予定を立てる』というシンプルな行為を通り越して
                  10年も先のことを心配したり、
                  頭の中で想像した通りに ことが運ばなかったときに
                  イライラしたり、自分を責めたり

                  そういうことをよくよくやっているもので。
                  それはそれはもどかしい作業なわけで。


                  だけど、本当に大事なものって、
                  究極的にはいま、ここにしかない

                  いまやっている仕事や楽しみを味わいつくすこと
                  目の前にいる人・人・人とつむぐ関係
                  いま呼吸している私自身の
                  ココロの色彩

                  一瞬一瞬の 不思議さ ありがたさ 美しさ 驚きに
                  集中するようになったら 
                  すっかり不安がどこかへ隠れてしまったみたい。


                  そういえば、むかし自分で自分に書いたメッセージがあったっけ。

                  未来はあとからついてくる

                  って。

                  | つれづれ日記 | 18:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  “未来世療法”
                  0
                    今までよく耳にしたことがあるのは

                    『もしもあなたの命があと○日だったら何をしますか?』

                    というような問いかけ。

                    これによって、自分が本当にいまやりたいことって
                    なんだったのかを考えるきっかけになったりする。

                    だけど、今日読んだ本にはこんなことが書いてあった。

                    『私たちの魂は死にません』

                    私たちの魂は自分の体験をすべて記憶していて、
                    それは次の人生にももち越されると。

                    その内容に触れたとき、
                    私の中にちょっと不思議な、新しい感覚が芽生えた。

                    「そうだとしたら、今日私が大切にしたこと、大切にできなかったこと、それがずっとずっと積み重なって、私の終わらない旅が作り上げられていくのだとしたら・・・」って。

                    もしいま、自分がいろんなことに悩んだり苦しんだりして
                    明るい未来なんて全然思い描けなくて
                    自信なんてこれっぽっちももてなくて
                    投げやりな気持ちに蝕まれていて
                    こんな人生なんて早く終わってしまえばいいのに
                    という気持ちで過ごしていたとして、
                    この変わらない毎日を、その終わりの日が来るまで
                    何とかやり過ごすしかないという気持ちで
                    今という時間を大切に思えていなかったとしたら
                    ちょっと困ったことになる。

                    だって、私の魂は簡単には終わってくれないのだから。


                    私自身は自分の過去世というものをまだ体験したことがないけど、
                    色々な本を読んだり、興味深い経験をしたり、
                    周りの友人たちの様々な体験をシェアしてゆくうちに

                    「自分の過去世というものはたくさんたくさんあって、なんども魂の生まれ変わりを経て今がある」ということはもう当たり前のように感じるようになった。

                    だから、この本の言っていることはごくすんなり入ってきたばかりでなく、ちょっとハッとさせられた。


                    例えば、
                    「こうしたいなあ、こうなりたいなあ」と思う何かがあって、
                    だけど、そんなの今の自分には実現不可能としか思えなくて
                    その思いをないものにして、“分相応に”とか何とか言って
                    妥協したり、周りをうらやんだりするだけで、チャレンジすることを放棄してしまったら、その思いは、いつかどこかでチャレンジし始める勇気を出す時まで持ち越されるだけのことになるだけ。

                    ひとつひとつのことをクリアするまで
                    その課題は終わらないとしたら、
                    自分が本当に大切に思うことを始めるのに
                    遅すぎる日はない、ということ。
                    そして、ちょっとずつでも、時間がかかっても
                    始めてみれば新しい流れが生まれる。
                    必要なことが見えてくる。

                    失敗したり挫折したり、
                    そんなことは全然怖いことじゃなくて
                    丁寧にやればやるだけ、次への自信につながって
                    少しずつ、本当に望む自分へと磨かれていく。


                    夢をかたちにしてゆくこと
                    ひとを愛すること
                    思いやりのある人間になること
                    不安なく生きること

                    こうしたことって、思っていてもできないことが多くて
                    人に迷惑をかけてしまったり
                    傷つけたり傷ついたりしながら度々挫折感を味わう。

                    そのたびに自己否定の気分から立ち直れない気がして
                    憂鬱な気分をながいこと引きずってしまったりする。

                    だけど、時間はいくらでもあって
                    なんどだってやり直せて
                    魂は最終的に本当にぴかぴかにひかって
                    周りをその光で包むことができるような日が来るまで
                    ちゃんと守られて、見届けられるのなら

                    明日という日が来るのが怖くないなと思った。
                    今日できることを
                    丁寧にやってみようって。

                    今日できなかったことを悔やむかわりに
                    今日味わったことを明日の力にかえて。
                    | つれづれ日記 | 01:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    ふわふわ感
                    0
                      梅雨はあめ。
                      雨がうれしー。

                      気持ちいい風のふきぬけるベランダで
                      いろんな種類の植物たちがにょろにょろと元気です。
                      プチトマトも実がつき始めました。

                      マンションの13階でも蚊はやってくるんですねー。
                      既にいくつか さされ痕。。。

                      それから、おっきなタンポポの綿毛みたいな子が
                      どこからかやってきて、植木に引っかかっていました。

                      びっくりするほど大な綿毛で かわいくて
                      もういちど空に放すと
                      ふわりと上昇気流(?)にのっかって
                      あっという間に 遠くへ旅立っていきました。

                      大都会の真ん中に住んでいると
                      季節の移り変わりに気づかないまま
                      どんどん時間が過ぎていくけど、
                      そんなこんなで最近ちょっと、不思議な毎日。

                      忙しいんだけど
                      忙しくない感じ。

                      休みなく予定が詰まっているんだけど
                      ゆったりしてる感じ。

                      やらなくちゃいけないことは途切れなくあるんだけど
                      あんまり追われてない感じ。(←だいじょぶか^^;)

                      'ano'anoには毎日誰かが訪れてくださって
                      家族がたくさんふえたみたい☆



                      気の流れ、風の流れが心地よく
                      気持ちいいものを心の奥深くに吸い込んで
                      いらなくなった大小の荷物を そっと手放していくのにちょうどいい部屋。


                      なんだか出てゆくときは、カラダも心もちょっと軽い☆


                      なかなか帰れてない田舎に帰ったときのような懐かしさとか
                      遠い記憶の中にしまわれた優しい記憶がふと蘇ってきたときの
                      なんともいえない安心感とか・・・

                      そういうふうに
                      時間や場所も飛び越えて

                      思い出しさえすれば いつだって自分の中にある
                      ふんわりやわらかい、やさしい感覚、なつかしいにおい

                      いまはそんな空気に包まれている。



                      ところで、


                      “ゲンジツハキビシイ”
                      “アイサレルホウホウナンテ ワカラナイ”
                      “イツダッテ ガンバッテルケレド ドコカ フアン”

                      こういう“考え”を“信じて”いたあの頃は
                      こうしたことばたちがそのまま、現実のものだった。


                      だけどたとえば、


                      “欲しいものは料金を払って手に入れる(=買う)”

                      こんな世界共通、みんなが信じているような概念でさえ、
                      いまはちょっぴり 疑わしく思えるのです。

                      『相応のお金を出さなきゃ欲しいものは手に入らない』

                      というふうに、“現実を規定していない”人たちが
                      お金のやり取り以外の方法で
                      (それはそれは型にはまらないとってもクリエイティブな方法で!)
                      必要なものを必要なときに必要なだけ受け取って
                      とーってもいい顔をして暮らしてたりする。


                      そうは言っても、不安を手放すのは難しい?

                      そこで
                      『そりゃそうさ』
                      と答えれば、不安要素は次々に押し寄せてくるし、

                      『そーでもないよ!』
                      と心の底から答えれば、不思議と現実は優しくなる。



                      ほんとかな?

                      なんだか、ほんとみたいだよー☆

                      | つれづれ日記 | 21:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |